こんにちは、ショウです。
実は登校拒否を経験したかたはビジネス分野において最強なのではというテーマでお話していきます。
登校拒否の経験は宝物
現在30代で一般的な会社員として働いていますが、10代、20代は大きな挫折ばかりを繰り返してきました。
その中でも特に人生の中で最も谷底まで落ちた登校拒否という貴重な経験をした10代の体験は僕にとっては非常に宝物だと思っています。
もちろん、現在進行形で登校拒否をされているかた、身内にそういう方がいるという方からしたら『コイツは何を言っているんだ?』と思われるかもしれません。
最初にお伝えしますが、この経験をした僕は人生で最もどん底を見てきました。そこから這い上がってきた僕は並大抵の失敗では動じなくなります。
進んでチャレンジをすることを好み、今現在もこうして情報発信をしてあなたに僕の情報を伝えています。自分の未来を想像するだけで毎日ワクワクしています(笑)
まずは僕の経験談を少しお話してみますね。
登校拒否のはじまり
僕が学校へ行かなくなった期間は小学4年の途中から中学3年生の卒業の間近までです。
登校拒否1日目
友達関係や担任の先生からの悪態に耐えられず、1日だけ学校を休みたいと親にお願いしたことをきっかけに約5年の登校拒否が始まりました。
学校へ行かなかった期間は本当に何もせず、ずっとテレビをみたり、学校から帰ってきた兄妹と遊んだりの繰り返し。
たまに親が休みの時に外へ出かけて遊んだりしましたが、基本的に近所ではなく、遠出。友達に会いたくなかったので。
登校拒否2年目〜
2〜3年が過ぎると兄妹に対して自分の存在が恥ずかしく感じるようになりました。家族の中に登校拒否をしてずっと家にこもっている奴がいる。そんな風に思われているんじゃないかと思うようになってきました。
登校拒否4年目〜
4年目に突入するとこの生活がいつまで続くのかわからず。
でもだからと言って学校にいく勇気もなく、生きている心地がしません。この時期が人生の中で最も死に対して敏感になり始めている頃です。
一人でベランダにでて飛び降りしてしまった方がいっそのこと楽になるのではないかとずっとしたばかり見つめていました。
でも、学校にいく勇気もなければ、飛び降りる勇気もありませんでした。今思うと本当に飛び降りなくてよかったなと思います。
登校拒否5年目
5年目に入り、学校に行っていれば中学3年生のとし。中学は義務教育なので一度も通わずとも卒業扱いにできるのでそのまま卒業という形でもいいと思っていました。
しかし、一度卒業してしまうと、後から中学生をやり直したいと思ってもそれを叶えることはできなくなってしまう。
一度も通うことなく卒業は自分の中で悔しさもあり、兄妹に対しても後ろめたさをずっと感じていたので、せめて中学だけでもいきたい。そう思うようになりました。
今思うとこれが僕の人生の1度目の大きな分岐点でした。
登校拒否をやめゼロからやり直す
ほんの少しの勇気を持って行動したのが、夜間中学に通うこと。
そこは外国人の方が日本語を勉強したり、僕と同じような境遇にいる人が集まるような場所なので、学校ではあるけど、昼間の学校よりかはいきやすいと思い、そこに通うことにしました。
鬼の努力のはじまり
ただ、ここからが非常に大変だったのが、単純に5年間学校にいかなかったから、そこから学校に通わなかった5年分の学力を埋めて、新たに高校受験をする。なんていうのは甘い考え方でした。
自分が高校に行けるかも考える余裕はなかったし、目の前に起きていることしか頭にありませんでした。
周りの協力や、外国人の友達ができたことで、少しずつ勇気が生まれ、夜間中学を卒業したあとの進路をしっかり考えられる余裕が生まれした。
そこから高校への進学をしようと決めました。
学力は1年生以下
ただ、小学4年生から中学3年の卒業の年まで一切の勉強はしてこなく引きこもり。
つまりそれまで習っていたことも全て忘れ、一桁くらいの足し算引き算、漢字は自分の名前と本当に簡単な漢字のみ。
学力は底辺中の底辺まで落ちます。
つまり、夜間中学の2年間で小学生、中学生の学力とプラス高校受験の学力を埋める必要があります。
今考えても絶望的すぎるくらい期間が短いですね(笑)
8年分の学力を埋められた要因
たった2年間で8年分の学力と高校受験のための勉強を始めなければいけない。
しかも、引きこもりをしていた約5年間は人に会うこともなく、本当に家に引きこもっていたので軽い対人恐怖症。
学校に通うだけでも奇跡に近い状態から、さらに8年分の勉学。これをやり遂げなきゃなんて当時はみじんも感じなかったし、そんなに追い込まれている自分に気づいてすらいません。
夜間では生徒会長、高校ではTOP5の成績
結果として報告すると、高校受験に見事受かり、しっかり高校生活を3年間楽しみ、学年でも成績は2年生以降はトップ5位以内をキープしました。
なぜそこまで学力を伸ばすことができたのか。自分のことを分析してみるとこんな感じです。
- 一つは外に出なかった分趣味がほとんどなかったこと。
- 二つ目は久しぶりに友達と勉強する楽しさ。
- 三つ目は周りのサポート。
夜間学校では学業以外に責任感を持つことの大切さの一つとして僕に生徒会長をやってほしいとお願いされ、当時の先生からのお願いは全てYESで答えていました。
何か専門的な知識があった方が僕にはあっていると後押しをしてくれた先生が農業系の学校に進んでみてはどうだろうと相談してくれ、僕は料理が好きだったこともあったので、農業系の高校へ進学し、食品に関する勉強をしました。
その後の進路はさらに方向転換して、高校卒業後は自動車の専門学校へ通い、就職先はBMWの会社へと就職しました。
壮絶な10代を経験
冒頭でもお話しましたが、僕は人生の中で最も谷底まで落ちました。だからこそ這い上がってきた勢いは凄まじいものでした。
僕に取っての登校拒否という経験は、引きこもっていた分エネルギーが蓄積され続けて大きく爆発した。そんなイメージです。
自分という人間が恥ずかしくなるほど追い詰められましたが、そこから普通の生活に戻ることができた。
この出来事は自分に対して大きな自身になりました。
自分はなんでもできる。これまで制限してしまっていた分、自分は常に動き続けることへの貪欲さ、変化への対応力、可能性。
あれだけどん底まで落ちた人間でも、外資系の自動車メーカーへ就職できたことへの自身。
一種の暗示なのかもしれませんが、登校拒否という経験がなかったら僕はここまで成長に対して貪欲にはなれませんでした。
登校拒否の経験を生かすことができる新たな人生
こう言った大きなトラブルを乗り越えた人は、ビジネスの分野にしても非常に強くなります。
貪欲さが違うからです。
20代でも大きな失敗を繰り返しましたが、正直これ以上ないってほどにどん底を見てきたので並大抵のことでは動じなくなります。
失敗をしたとしても、これをやったら上手く行かなくなるから違う方法をやってみようという気づきに変換します。
失敗は失敗ではく、上手くいくためにやってはいけない方法を見つけたと思うよになりました。
弱みから強みへの変化
僕は人の目を非常に気にしがら幼少期を過ごしました。
それは登校拒否の間も、夜間中学に通っている時も、高校へ進学した時もずっとそうでした。
今でも人の目を気にはしますが、そいうのは気にしないようにしています。逆にその経験を生かすことができます。
人の目をずっと伺って生きていたので、相手が求めていることがなんとなくわかります。
話している時の表情。声のトーン。雰囲気。手の仕草。目の動き。
こういうのを長年み続けた結果、今ではそれを利用して相手が本当に求めていることを引き出せるようになりました。
これまで弱く感じていた部分が、ビジネス分野に触れることで実はそれが強みに変えることができる。大きな自信へと変わりました。
今もなお苦しんでいる方へ
2019年8月時点で、登校拒否を起こしている小中学生は約14万7000人ほどいるといわれています。
きっかけはいろいろあります。だけど、そこから立ち上がる方法は一つです。
ほんの少しの勇気。
言葉にするのは簡単だし、ほんの少しの勇気も振り絞ることが難しい。だから苦しんでいる。
だけど、どんなことでもいいので本当にほんの少しの勇気があれば、そこから大きく人生は変わります。
今がどんなに不遇な人生だとしても、次の日は誰にも予想できません。
いつか大人になった時、登校拒否の経験は笑い話にできるくらい成長している自分を想像してみたください。
その経験は大きな宝物になります。そしてそれを生かすことはあなたにしかできない特別な財産になります。
一歩前に進んでみましょう。